頭の地獄

餃子を作る。最初は生地から20個だったけど、次は16個に減らし、今となっては12個作っている。そのうち10個になったり6個になったり焼くのは大変だから水餃子を作るようになるのかもしれない。なぜなら頭の中がずっとお前は死ねばいいって言い続けているからだ。人と同じように出来ない無能の自分に死ねって言うのが止まらない。言葉という炎に燃やされたのが昔だったとしても、今でも燃え続けて常に酸素を奪っていき、私は窒息してしまいそうだ。時には燃え移って過去と同じ苦しみを味わう。頭のおかしな大人たちが大きくした火を消すことが出来ない。手作業では紛らわせない。刺激の海に潜ることでしか私はこの火の消し方を知らない。どうしてこんなに悲しくならなくてはならないのだろう。私はただ餃子を作っただけなのに。私は現実で生きる方法が本当にわからなくなってしまった。

無能な自分を全く受け入れていないわけではない。それでもいじめが起きたのは私が無能だからだと加害者の正当性を認めるようなことになるのが怖いし、結局私は私が嫌いだ。こんなに能力がないから誰にも大切にされなかったのだと思ってしまう。親がそんなことを出来る生き物ではないことも、親と同じ物を他者に求められないこともわかってきたのに、そうだからこそ人に拒否反応しか持てなくなる。助けてくれるわけでもない、踏みにじるだけの者たちだ。

本当は子供の頃からわかっていた。みんながみんな私より大切な人間がいるのだと。だから人にあまり関心を持てなかった。見返りを求める自分と貰えなかった時の自分を想像しただけで恐ろしくて、いつもいないようにしていたかった。だけど加害はされるし、出来損ないだから手伝って貰ってしまって、ますますお荷物な自分を関わらせたくなくなっていく。陰口も悪口も言われてずっと苦しかったのに大人達は友達に囲まれた子供らしい子供を求めてきた。

他者の承認があれば生きていけるわけではないが、他者から拒否をされたら生きていけない人間になった。友達というものの評価が大人からの評価、親の評価へと繋がり私の人格を全方位から否定される。私にとって友達は家族や恋人の上には届かないポジションなのは明白だったのに、私はいない方がみんなは幸せだと思っていたのに、自分の人格を親から否定されるのは怖かった。人と同じものを好きなふりをしたりしただけで見返りを求めたくなって辛くなる。命がけだった。みんなが笑っているのに、私は怖くて逃げ出したかった。母にとっては家族は友達やご近所に比べればトイレに流される排泄物と同レベルなのをもっと子供の頃から知っていればよかった。そうしたらこんな地獄の中にいる必要もなかったはずなのに。もっと平和に餃子を作れたはずなのに。