発達障害だった私と親は本当に合わなかった

自己否定感が激しくて常に気がおかしくなりそうになる。少し上手く行かないと自分に対して「この無能!」と暴言を吐きだすことが止まらなくなる。その時私の身体は大体固まっていながら頭が痛くて、息が苦しい。

私は本当に自分が嫌いだ。学校に行って学歴ではなくて精神疾患ばかりを身に着けることになった。集中力はADHDが奪っていき、アスペルガーが人間関係と適応力をごっそりと持って行ってしまった。そこにはただ何も出来ない人間しかいない。他の人間はいくらでも私を傷つけて捨てていけるが、私は私をいくら傷つけても引き離すことはできない。常にお荷物な存在といてしんどいのは他の誰でもなく私だ。

 

私の中には慢性的に怒りが潜んでいて、何かを理由に噴き出す。他人といれば他人に噴き出しそうになるので人と関わるのをやめているが、私からは離れられないので私はいつも自分にキレて自分を傷つけている。そこまで自覚しているなら労わればいいと思う人は思うだろう。ただ私にとって何が癒しになるのか正直全く分からない。

退屈が自分を責める時間を作っているとも考えられれば、退屈を埋めようと行動すればするほど失敗のリスクは増えて、失敗した瞬間に自分を責め続けてしまう。何もしなければ緩やかに自己否定感が横たわっているだけなのだが、失敗すると自己否定感が暴れ出してどうにもならなくなる。

 

人に助けを求めて上手く行ったことは一度もない。ただ人間不信を深くしていくだけだった。そもそも私は根本的に人といることが心地よくない人間だった。聴覚過敏だったり逆に人の話を聞く耳の能力が低いと言われたりと不安定な耳を持っている私に会話を楽しむということは困難だった。子供の頃は宿題とお絵描きとゲームさえしていれば時間などいくらでも過ぎて行った。

しかし母親はそんな私を許さなかった。私に常にお友達と遊ぶことを期待していた。私は常に家で後ろめたさを抱き続けなければならなかったし、お小遣い制が始まっても私がゲームハードとソフトばかり買おうと貯金をしだしたのでお小遣い制度は廃止された。再びお小遣い制度が始まっても同じ理由で廃止された。きっと母はお小遣い帳に友達と遊んで使ったお金を書いてほしかったのだ。宿題が終わっても進研ゼミが終わってもゲームをしていると怒られた。手伝いは断られた。きっと母は友達と外に遊びに行ってほしいのだ。父は母親を悲しませるなと言ったが、母を悲しませないことは友達100人作りましょうというような無謀な願望だった。

 

発達障害に生まれて理解のない親の元に生まれる不幸というものは多くの人が体験していると思うが、私はただただ友達といることを要求されることが辛かった。私がここまで自己否定感を抱えなくてはいけないのはこの母の欲求を満たせなかった自分をずっと責めていた記憶が累積されすぎて、自分はどうすればいいのか全くわからないのだ。もう何をしたら正しいのかと幸福なのかがぐちゃぐちゃになってしまった。嫌なことはわかるのだが、嫌なことしかわからなくて、これなら大丈夫というようなものが何一つない。嫌とか怖いとか辛いという感情がもう何に触れていても突発的に起こる。すべてが恐ろしく感じる。私はいつまでこの身体を引きずるように生きていかなくてはならないのだろうか。

 

外に出てもあらゆる言葉がまた母の求めていた理想の人間になれというメッセージを聞いてただ自分を責めるだけになる。もう私はどこにもいられない。