プレッシャー

私は落ち込んだり不安になったりイライラして周りを巻き込む。そうならないようにニュースを見ないようにしたり、ダイエットの為を思って再会した紅茶などの嗜好品を飲むのをやめたりもしたが、時間の暇が生まれると「私に生きてる価値はないんだ」というのが頭によぎる。一回そう思うともう止まる術がない。やることが尽きた途端にこうなってしまうのだ。忙しくするとストレスが爆発したり失敗しやすくなってますます自分を責めだすので今以上に行動を増やすこともままならない。

私は情緒不安定になってはいけないというプレッシャーを抱えていながら、常に自分の情緒に怯えて暮らしている。人並になれないからこんなに怯えて生きなくてはならないのだと普通になれなかった自分を憎むばかりだ。折角家を出て責めていた元凶から逃れても自分を責めることを私はもうやめられなくなっている。いつまでも母や世間の理想像が重くのしかかって物凄く苦しい。

人並になれるように頑張ろうという気持ちだけではどうにもならない要素があまりに多かった。形だけ真似ようとしても必ずどこかで失敗を起こす。1度上手く行っても毎日やろうとすると時限爆弾のように情緒が破裂する。人とは顔を合わせれば合わせるほどに疑心が強まっていく。人の声が怖い。人といて悪い事もあればいい事もあるというが、私はそういったことのつり合いが全く取れない人間になってしまった。

 

夕方の頭も体も疲れてきたこの時間に、私はどうしようもなく自分という存在への嫌悪で気がおかしくなりそうになる。通院も結局はコロナが不安で出来ていない。処方は漢方なので市販で買っているが、私が何も出来ないゴミ人間だという事実は漢方を飲んだところで変わらない。フラッシュバックで希死念慮が刷り込まれたのか、フラッシュバックが止まった今はただ、誰からも嫌われる価値のない自分という現在だけが常に自分の前にある。フラッシュバックがなければここまで自分は価値がないという刷り込みが行われることがなかったのか、フラッシュバックがなくともその瞬間に私は結局こうなっていたのだろうか。