定義された幸福からの孤立

ハーバード大学が幸せの定義を語っていたが、私は人といることに居心地の悪さをどうしても感じる。寝起きと寝る前はどうしても調子が悪く、人の声を耳に入れる余裕さえほとんどない。空腹時もそうだ。気圧や天候。生理が近くても私は不調になる。何故こんなに過敏なのか私にもわからない。

そんな私は当然人といることが苦痛に変換される一方であり、そんな落ち着かない人間とは誰も一緒にいたくないことだろう。発達障害複雑性PTSDが掛け合わされたような混沌とした中で、私はもう何も手につかない。求められるような価値のある人間になることが難しい。今までは一人になる権利さえもらうことは叶わなかったから、ますます一人であることが救いのように思えてくる。

そんな中であらゆる場所から人といることが幸福なことなんだという情報が入ってきて、その度に私は自己嫌悪に陥る。友達という単語がトラウマになっている。友達と遊ぶ約束がないことは、まるでテストで赤点をとった後のような後ろめたさがあった。私はもう人と関わろうとすることにうんざりしている。私の人間関係は脅迫的に作らなければならないもので、喜びや楽しさよりも不安と怒りが常に内在していた。常にテストをしているようなプレッシャーがあった。人と関われという言葉は、私に呪いを次々と掛けていった。どうしたら私は私の居心地のよさを得ることが出来るんだろう。私に出来ることはせいぜい怪しいオンラインサロンに行かないことくらいだ。