認知がよくわからない

人は学習するものだとされていて、国が促すほどに人は学習をしなくてはならないものである。そんな中で現実にいくら基づいていても認知の歪みという言葉でなかったことにしようとする精神系の話に私の心身は全く追いつかない。

私は何をするにも能力がなかった。手先が不器用だったりパニックになりやすくてとにかく存在が足手まといという結果になっていく。傷ついたことを人から叱られさらに傷つくことをずっと繰り返した。失敗したときに実際にされた罵倒とか、そういうものが頭に残った時に、残したお前が悪いと責められて二重の苦痛になる。私は普通のふりをしようと試みたことが何度もあったが、それは最終的に予期不安として悪化することになり、最終的にどうにもならなくなった。

 

いくら認知の歪みだと言っても、大丈夫だと思っても、明日は普通のふりをしなきゃと爪で肌を傷つけても、完璧になれば傷つけられないと意気込んでも、同じような失敗をして同じようなことが何度も起きた。無能は無能のままだし、無能な存在が憎い周囲は何一つ変わらないのに、傷つかないように考えようと言われても周囲から自分への嫌悪が暴力的に襲い掛かる。こんなに世界が私を嫌うのに、もうどうやって戦えばいいのか全くわからない。どうしたら大丈夫になるのか全然わからない。公園で遊ばなきゃいけないという家のルールが私に自他の境界を作らせなかったのだろうか、私は人に愛される私でないと存在が許されず、自分の形成どころではなかったのかもしれない。

 

だけど今の私には何もかもが恐ろしい。何が自分を傷つける材料にされるかわからなくて、もうこの世界でどうやって生きていけばいいのかさえわからない。もう公園にも行きたくない、学校にも行きたくない、社会の集団には何一つ属したくない。私にとっては認知の歪みの強制先の思考こそ認知の歪みばかりだ。他の人間は危険じゃないなんて言葉に何度も騙されてきた。みんな傷つけてきた。