たかがゲーム如きなんて言わないで

SNS疲れでアカウントを消すゲーム垢の人がいた

その人は何度もたかがゲーム如きという言葉を使った

私はその言葉に何度もムカムカとした

なぜなら私にとっては酸素ボンベのような存在に近いからだ

 

画面の中は私の安全基地である

ずっとゲームするには集中力が弱いので

BGMを聞いてゲーム画面を思い出しながら生活をしている

そうでないと私は常に過去の反芻との戦いになる

外に行けば人から迫害された記憶で身体が固くなり

帰ってきた頃には感覚過敏でボロボロの状態になっている

記憶に頭の余裕が完全に奪われてしまうので

事故に巻き込まれる危険さえある

 

そんな私にとってゲームはどんな薬よりも生活を助けてくれる

薬は副作用によっていい効果を得られない

人を前にすると過去の記憶が湧き出して治療ができない

それどころかトラウマの記憶が増えることばかりだった

八方塞がりな私に出来る家事があるのはゲームのおかげだ

 

引っ越しやいじめ、過干渉や家庭の不和などの積み重ねは

私に現実に居所があるという感覚を全く育むことはなかった

実を言うと引っ越し自体にはダメージを実感していない

とはいえ子供にとっては引っ越しはトラウマになるらしく

実感がないのはゲームが持ち運べる居場所だったからだ

逆に言うとゲームから離れると底が抜けたような恐怖に襲われる

きっとゲームがなければさらに自殺未遂を過去にしていたと思う

もしかしたら私はとっくに死んでいた可能性さえある

 

今でもゲームで失敗したら病むし愚痴だって言う

ただゲームをしていなければ一日中死にたくなってしまう

なぜなら現実には傷つけてくる存在ばかりだったから

命の恩人を軽蔑されたら嫌な気持ちにだってなりたくなる