口と耳

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

私は人と話をすることが下手だった。何かと説明不足で聞かれることが多く、話すことを自分の頭で整理してから話す行為はどこかに書き出さないといけなかった。自分が今話したことを話し終わった直後に忘れて質問されても答えられず、聞かれる回数が増えれば話が逸れることもあるだろうが、最初に書き出しておけばいつでも戻ってこれた。

聞くことは私にとって話すことよりも難しいことだ。聞く、覚える、反応するというマルチタスクが苦手だ。聞いて覚えることに集中して発言が適当になると失言してしまうし、相手への態度ばかりを考えていると相手が続いて話していることを逆に聞き逃してしまう。相手の話も文字としていつでも読むことが出来れば反応するだけのシングルタスクになる。

目の前の人間が話していても話していることがわからなくなることがある。まるで脳のピントが合わないようだった。耳で聞く能力が弱い人間という能力の偏りだと医者は言っていた。医者がそう言った時、私は過去の居心地悪さを思い出していた。居心地よくするために一緒にいる人間は少ない方がいいという人間関係への深いこだわりも、乏しい能力から来る自己流の解決方法だったのかもしれない。

自分の能力を知ったところで人と話すことが下手だという事実は変わらない。本当は変える気を失ってしまった。気づかずに積み重ねた失敗により、人に怯えるようになってしまったことや、形だけ同じにしても自分は同じように楽しめないことを理解してしまったのだ。祟った無理は今更なかったことには出来ないので、これ以上無理をしないことが私の限界だ。

人との雑談はインターネットで楽しむものになった。私はそこに入るわけでもなく見つめるだけになっているが、騒がしいのが苦手な私にとってはチャットという無音の賑わいが何処にいた時よりも居心地がいい。もっと早くこの心地よさに気が付いていればよかった。そうしたら私はここまでの怯えは植え付けられずに済んだのかもしれない。すべては後の祭りだが、祭りを楽しめるように作られた人間ではきっとなかったのだ。インターネットがなければ気づくことは出来なかっただろう。