妥協の難しさ

胸の内側が引っかかれてるような、そんな感覚に陥ることがたまにある。この感覚が恐ろしくてまたどうしたらいいのか本を読むけど、自分はこれ以上助かるような恵まれた能力を持つ人間ではないのだろうなと思って今度はあきらめ方を知らなきゃいけないのかなと思う。自暴自棄とかセルフネグレクトとか、そういうことにならない程度の程よい諦めるってどうしたらいいのか結構難しい。

 

私は人といると正気を保ってはいられないのだ。さみしくて伸ばしたくなる腕と否定される前に否定したいって傷つけようとする腕の両方を、自分の中に抑えなくてはいけなくて、こんなに必死に抑えてることを知らない人たちが私にとって人といるということは狼の群れに襲われるような恐怖だ。

 

本にあった話だが、不安定な人間関係を受けた後の後遺症のある人はどうしても安定していそうな相手を前にしても不安定になってしまうそうだ。おすすめなのは親密な人間関係というこってりとした油のようなものを取らず、インターネットでチャットするだけのような消化にいい関係性のみにすることらしい。私の場合それすら出来ないので、何なら消化できるのか随分と謎なところがある。アレルギーみたいなものなのだろうか。

 

そして文化の伝承のような人の持つ学習能力で悪い意味で働いてしまったというものもあるらしい。人は学習しろだの経験しろだの言う癖に、都合の悪いことは忘れろとか気にするなと軽々しく言う。しかし人である限り覚えてしまうというリスクは避けられない。

 

どうしても人そのものに対する者だけでなく、自分の感情の波まで恐れてしまう私には、人という存在に触れることがあまりに困難なのである。そうした苦しみから抜け出すには人との絆は諦めて、自分の世界を内側に作るといいという話らしい。子供の頃から友達作りを生存の条件のように置かれてきた私にとって必要な事実だし、人と会うことが向いてないことなんて散々理解しているのだが、お金稼ぎも出来ず薬局に薬を取りに行くことすら苦労する自分に苛立って落ち着かない。過剰摂取した人という毒を抜く時間に耐えればイライラはいずれ抜けるのかがわからないことがひたすら心細い。