びっくりするほどしたいことがない

今週のお題「あったかくなったら」

 

何もしたいことがわからない。語学というものをいろんな方向性から試そうとしたが、発音部分が聞いても説明文を読んでもよくわからんとなり、文法はどれが形容詞で動詞なんだかさっぱりわからなくなるし、淡々と単語を覚える作業にも退屈さが隠せない。あまりに無気力すぎて結局何かに手を付けることに向いていないのである。英語は最初の数ページで投げてしまうほど絶望的である。その代わりとやっていた中国語も初心者向けの本を読んで文法は少しはわかるんだけど、中級者向けになるまでの漢字と単語の数をどうやって増やしていけばいいものかわからなくなってきた。飽きるし、頭に入らないのである。コンサータが欲しいような、飲んだところでどうせ何ができるわけでもないという感覚もある。私の精神が悪いのか、脳みそが悪いのか、漠然とした自分への不満感で何もしていなくてもしていてもむしゃくしゃとした気持ちになっていく。体が重くて腕や肩が痛い。

 

今日は朝から何も楽しくないなって感覚が常にある。大麻が合法化して安価になったら使って気が楽になるのかなと悩むくらいには鬱屈として空しくて何をしても意味がないような心地がある。洗濯機回したり料理を作りはしたのだけど、何の喜びもなくて日々がつまらなくて死んでしまいそうになる。トラウマの痛みも逃避もなく心地よく過ごす方法が私にはわからない。何か今この時間を飛ばせるような便利なものがないものかと悩んでいる。昨日は意味もなくここまで落ち込まなかったのに、今日は意味もなくここまで落ち込んでいる。何を失敗したんだろう。どうしたらこうならなかったんだろう。昨日の夜だってご飯を食べて11時眠った普段と変わらぬ夜だった。心当たりがないからどうしようもなくてそれがさらに虚しさを強めてしまう。

 

私はどうしてもこの世界で何かをしようとする意味を見つけられない。自分の見た目は美しくもなんともないが、人間の見た目はどのみち絵の美しさを超えることは不可能だし、恰好良さというものでも音楽で勝るものはないように思えてきてしまう。もう自分が絵が描けないことはわかっているので供給を得るしかないことはよくわかっている。とりあえず描き続けて出来ないところに気づくまでは出来たのだが、結局解決する前にパニックになって終わってしまったからだ。

 

私は泣き虫な人間ではあるが、キャラクターや音楽が恰好良くて泣いたことがあっても、人が恰好良くて泣いたことはない。お酒に酔いしれることは難しくても、世界観や音楽に酔いしれることは出来る。人からは恐怖や痛みばかりを感じてしまうが、音楽を聴いていると腕の軋むような痛みもなくなっていく。鎮痛剤のように自分の感覚を麻痺させてくれる。本物の鎮痛剤は胃が荒れてしまうので毎日使えたものではないが、音楽を聴くことは毎日でもできるのである。

 

私は毎日鎮痛剤が必要であるくらいには現実世界において痛みばかりになってしまったのかもしれない。人という毒に蝕まれてしまった以上、人と同じ解決方法を私には取れないし、自分という人間との関わり方さえわからない。私はこれからも延命措置をされている死んだような存在でしかない自分を、少しでも忘れようとするしかない。それにしてもこんなに音楽が離せないのでは発音やリスニングなどできるわけがないな。