育てられたとは言えない

私の母はPTAや子供会に行くことを育児だと思っていた。貴方がいるから行ってるのにとかあの人は私と違ってリーダーシップがあって羨ましいとか、そういう愚痴を聞く役になることが必ずまとわりついていたし、夜の子供会の前後はずっとため息を聞かされなくてはならなくて父と私は肩身が狭くて苦しかった。

それは私にとってパチンコ屋に行くのが育児だと言って負けたら子供のせいにする親のようなもので、PTAや子供会においては子供に罪悪感を押し付ける口実に利用されたのでなおさら最悪だった。そしていじめのある学校にも私が我慢しているんだからお前も我慢して通えって、明日また笑われるし通りすがりに死ねって言われるかもしれない恐怖を無視されて自分の心が地面にすり潰される心地がした。私にとってPTAも子供会を母が私を殺すための凶器にしかならなかった。

母は自分を正当化するために子供ごと世間体の奴隷になってそのストレスを私にぶつけた。お中元やお歳暮を親戚に贈る時期になるたびに家にいるのが苦しかった。お金のなさを言われるたびに自分が産まれてこなきゃよかったと思った。

私は母にとって世間体に自分をよい人間に見せようとするためのアクセサリーであり、そのストレスを押し付けられるサンドバックであり、自分に出来なかったことを子供のやりたいことや趣味や人格を否定してまで強制させられる奴隷のような存在になった。

母は子供なしには自身を肯定できないけれど、あまりにも独りよがりで子供の心を見ていない人だった。妄想の中の子供ばかり見ていて私はこんなに頑張っているから何も間違っていないし悪いことをしていないという理由で今でも兄弟は振り回されている。

別に察しろという話ではない。私は諦めなくて馬鹿な時間だったと思うくらいには伝えようとする努力をした。すぐ逃げる父の理由を知らないままちゃんと話そうと身振り手振り例え話や筆談などあらゆるアプローチをしたが、そんなことは全く効果がなかった。なぜなら母は理想の子供像とあってるか間違っているかで裁くかどうか決めることしか考えていなかった。ニュースや作品の感想、見る作品の選定まで極端に聖人君子な理想の子供像と合ってなければ否定した。私の伝える努力は思い通りにならない性格の歪んだ幸せになることのない可哀相な子供という人格否定が返ってくるだけだった。自分の悪口で笑っている人の良い所を見て許さない貴方は不幸で虐げられて当然だと私に言い続けた。私の世界は母といることで理不尽で安全とは無縁も同然のものになった。子供のために叱ったことなんて一度も母はなかった。自分が良い親に見られるように社会に隷属して欲しいしそうでなければ死んでほしいという憎しみをぶつけるだけだった。

 

発達障害への子供への声かけ本を発達障害の本を探している時に立ち読みして気づいたが、母は驚くほど悪い例でしか会話をしていなかった。あまりに悪い例が母の言葉であることがずっと続いたので体調不良になって途中で読むことをやめた。加えて会話がかみ合わないことが頻繁にあった。私だけでなく他の家族も母と疎通が出来なかったし、隷属的にならないと人格否定をされるから会話を避けたりうなずくだけになった。世間体にだけは顔のいい母親だから大人達も母の味方で、父は母に支配されているので味方が誰もいなかった。

 

こうして文章で母の異常性を確かめていないと自分もそうなりそうで怖い。自分も母のように世間体のために夫を壊さないように、だけど現実で生きていく力もないから、現実から離れて暮らさなくては。それでも私の安全を失った世界の感覚が蘇るとどうにもならない。愛された人間の感性で生きられない。世界中が危険なんだって記憶が溢れかえって涙が止まらなくなる。嫌な記憶を重ねすぎた。いい記憶を作る努力は人の悪意に何度も踏みにじられた。カウンセラーや医師などもその一部だった。そのたびに母は私を人格否定した。

 

せめて過干渉なら他人の悪意はちゃんとおかしいって否定してくれる親の元で育ちたかったし、他人をすべて許す強制なんて何の為にもならないものを押し付けられたくなかった。なんで私にはこんなに育ててくれる親がいなかったんだろう。