親が毒親って気づくの遅かったなって

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

母親と絶縁して3年くらいは確実に過ぎている。明確にはいつかは覚えていない。こうなる前はむしろ好きだったくらいだった。

人から指摘されるまで毒親ってよくわかっていなかったと思う。なにせ基本は正論で叩きのめしてるから不満の抱き方がわからないし、道徳的な内容でいたぶってきていたので私が悪いが常にあった。この家に私はいない方がいいって思いながら過ごしていたくらいなので他の誰が悪いとは思わなかった。ただ母親がいじめの加害者を庇うことだけは昔から明確な不満を持っていて、どうしたらそれがいかに辛いことなのかが伝わるのか必死に10年くらいは書いたり話したりして伝えようとした。すべてが人を悪くいう性格の悪い変わるべき駄目な人間にしか映らなくて、いじめでそのものでは起こさなかった自殺未遂を母との口論で起こすほど追い詰められていた。私の自尊心は粉々に砕け散り、世界が差別的に変わっていった。

父に対する目も変わった。父とは絶縁していないけど仕事ばかりしている人って印象から家庭を避けてる人になった。会話の通じない母から父は逃げていた。そして不登校の私からも。父はよく俺は馬鹿だからって言っていたが、母を褒めるために言っているのではなくかなり切実な学歴コンプレックスで、本当に弱弱しくて、あらゆる言動がまるで虐待されて育ったような人間であることがわかった。私は父には何もしてやれない。せいぜい母といても傷つくだけで、誰にも母はどうしようもないと困惑している父に伝えてやる事くらいだ。

 

そして神田橋処方と出会ったことが変化の一つだ。フラッシュバックが起こらなくなったのである。その一つの症状以外はすべてそのまま変わらず存在する。結局は反芻して自己否定をする自分だけが残るようになった。フラッシュバックしていた時間が反芻に消えていく。インターネットを見たり音楽を聴いたりゲームをしている時以外は、反芻しているか自己否定をしているかのどちらかなのだ。

そして勉強は全く出来なくなった。わからない、出来ないという状況に身体がストレスで反応してしまい、全く生活が回らなくなってしまうのだ。

 

変わらないことはせいぜい趣味が二次元よりであることくらいだ。父が仕事を居場所にしていたように私を二次元に縋っていないと現実が辛すぎて心が耐えられないのだ。