手遅れの人生

発達障害に生まれたことが嫌いだ。私は自分の発達障害を憎んでいる。それに拍車をかけたのは間違いなく毒親の母であった。

友達がいることを目標にされて生きてきたせいで、他人の評価が得られないと自分を認めて貰えなくて、常に人といるのが楽しいというより怖いとか不安とか捨てられたくないとかそういう気持ちばかりになってしまう。どうしたら好かれるのか、どうしたら嫌われないのか、どうしたら不快にさせないのか、そんなことばかりを考えて生きてきた。

母は常に明るく元気で社交的な人間になりたがっていたし、子供にもその理想を押し付けていた。これは妄想ではなく母自身が「PTAの○○さんみたいなお母さんだったら貴方も明るい子になっていたのかしら」と言っていた。私自身は自分が暗いとさえ考えておらず、PTAの○○さん子供はリーダーシップはあるがそれが羨ましいと思ったこともなく、そもそも暗い事が悪いことだということも考えてなかった。

私自身は楽しく過ごしていた。それが母の前では偽物の笑顔だと言われたことがある。正確には「テレビやパソコンの前の笑顔は偽物の笑顔で、人と話している笑顔が本物の笑顔なのよ」という発言なのだが、私はそれを聞きながらやっぱりこうしている私じゃないと駄目なんだなと高校生なりに不安になったし、本当の楽しんでいる私を見下されているようにも感じていた。みんなが進路のことを考えるだろう歳になっても、私の前には常に友達100人という課題で神経をすり減らしてうつ状態の診断が出るようにまでなっていた。

人は私のことを嫌った。私は悪意に晒される度に悲しみや怒りを持ったが、私の母はそういう感情さえ許さなかった。人には優しくなくてはいけないから。その理不尽さがさらに人に対する怒りを増幅させた。そしてそんな自分に自己嫌悪を起こし、悪い自分が生まれないように悪い人間が目の前に現れないことを願うようになり、私は自他に怒りと憎しみを抱くようになってしまった。

私は何をしていても自分が駄目だという心地でやり場のない感情に締め付けられている。友達がいて明るくて元気じゃない私は不正解なのだという居心地の悪さがある。とはいえ私は今更人といて心地よさを感じられるような感性からは程遠く、自分の望みではないものだから、罪悪感を埋めるために人と関わっても関わらなくても、常に自分を傷つけてしまう。人と関わると傷つけてくる人間が増えるだけになるのが今までの現実だ。

 

そんな余裕のなさがつきまとってか、私はもう友達作りをしなくていい空間にいるにも関わらず、すぐに自分は駄目だとパニックになるようになってしまい、何を行うこともままならなくなってしまった。人とやれば怒られるとか嫌われるとか、そういう恐怖でその場にいることさえ出来なくなってしまうようになった。

私の人生はどうしてこうなってしまったんだろう、学校に行かなければ、友達作りを目標にさえされなければ、そんな後悔しか出来ない。なにせパニックで自分では何をしようとしても自分を傷つけるだけになってしまったのだ。どうしようもなくなってしまったのだ。