無趣味な日々

今週のお題「下書き供養」

 

ゲームというものは人に遊んでもらう前提で作られている。

まずはゲームを好きになってもらえるために簡単に作る。

気に入ってもらえたら飽きないように難易度を上げるのだ。

難易度を上げて試行錯誤するのが楽しいらしいのだが、

私は一度失敗するとやる気がガタンと落ち込んでしまう。

そのせいで始めてもやめることばかりが増えていくのだ。

学習性無力感というものだのだろうか。

 

最近のゲームは昔よりクオリティもボリュームも高い。

オンラインが当たり前でネットにいつも繋がっている。

見劣りしないようにLIVE2D、3Dが当たり前にもなってきた。

すると今度は金額が上がり、3D酔いもするようになり、

ますます続けることが難しくなってきた。

 

私は子供の頃からゲームばかりして生きてきた。

引っ越しても同じ世界が持ち運べて、

本と違って人の言葉をたくさん見る必要もない。

そんな自分がゲームという趣味も出来なくなっている。

突然泳ぎ方を忘れてしまったような気分だ。

環境や気分の荒波に飲まれてしまった時に、

泳いで岸や船に上がる方法がわからなくなってしまった。

目が覚めているのにずっと悪夢を見ている気分だ。

好きなものがわからなくなってきた

お題「#この1年の変化」

時間を持て余した時に何をしたらいいかわからなくなった。

流行している作品に手を出して昔はそれだけで楽しかったのに、

今はおおむねの作品が同じように見えるようになってきた。

子供の頃に大好きだった作品たちは自分よりも大きな存在になって、

誰からも見られていいような社会的な存在になっていった。

そんな作品ひとつひとつがどれも同じように見えてくる。

絆という風潮が2010年代は強かった気がするが、

そこに最近は多様性というものが増えてきた。

私は二次元という違う場所を探していたのに、

現実と二次元は昔より境界があやふやになってきた。

私だけじゃなく世の中も、作品を届ける側も。

作品を見たときにやけに疲れてしまうようになった。

外に出てもモニターの中を見ても社会の中という心地なのだ。

そうして私が作品を見るという趣向に疲れを感じた時に、

他にどんなことをしていいのか全くわからなくなってしまった。

歳だね、の一言で片づけるしかないのだろう。

 

あつ森で無人島で暮らしたい

無人島暮らしがしたいのだ。その為に島に来た。

そしたら何故か二人同時に別の住人が来る。

これは詐欺ではないか?既に無人島ではないではないか。

島をクリエイト出来ることを楽しみにしていたので、

ゲームを進めているうちに人数が増えていった。

店も増えたので17人くらいいるのか?この島。

島クリエイトの資格を得た頃には建物が多くなっていた。

おまけに案内所は動かせない。クリエイト出来ないのである。

 

人気のない島に自分の家だけが建っていて、野菜や花を育て、

島をクリエイトして自分だけの居心地いい島で暮らしたいのだ。

他人の家や店の位置なんて面倒を見たくはなかったのである。

私は無人島で暮らしたい。動物に襲われることも群れることも必要ない。

ただ平和に一人で島で暮らしたいのだ。

 

しかしゲームとしての役割として必要なことだったのはわかる。

どうぶつの森という名前にしっかり応えてくれたのだろう。

ただ一つの島を栄えさせた褒美があってもよいのではないか?

そういうわけで自分だけの島が欲しい。