私は選挙に行きたくない社会不適合者

私は別に選挙なんて行きたくないのにいつも夫が無理やり選挙に連れていく。私には選挙に行きたくない理由が三つもある。一つ目は自分の名前が不快極まりないから自分の名前を念入りに確認されることが非常にストレスになる。

二つ目は学校でいじめにあった挙句加害者は許され私は居場所がなくなったことが深刻なトラウマになっており学校=みんな傷つけてきて誰も助けてくれない場所という不快感が強く、それだけ迫害され見捨てられた人間がなんで義務だかなんだか押し付けられなきゃいけないのかという不快がある。そんな中で投票場所が学校だけだというのがとんでもなく不快なわけである。誰も助けてくれなかったという悲鳴が母校でないのに止まらないのだ。ちなみに行かなくても普通にフラッシュバックするが、選挙という環境ではそこから身を護る方法もないので非常に怖いのだ。

そして三つ目は女性にいじめられたので性別問わず女性が怖いということだ。子供の頃からなにかと群れてはする話題は悪口で出来ていてる悪趣味な連中で、女子生徒にいじめられて、通りかかった中年の学年顧問が無視して通り掛かる。そんな傷つけるばかりの人間を馬鹿の一つ覚えのように妄信していた母も含めて私は女性が嫌いなのだ。とくに笑い声が嫌いだ。くしゃみのようにガラガラとした笑いが爆発音のように発生する。不快そのものだ。

 

だから私は選挙は物凄く辛いし嫌いだし行きたくない。選挙に行った時は情緒不安定になるし、今はそれを思い出して不安定だ。どうして国は学校という場所が苦しみで出来てる場所で、近づきたくない人間というのを理解してくれないんだろうか。期日前投票というのはそういう理由でも可能にならないのだろうか。それでも晒し者で笑い者で、名づけ親の劣等感で出来た気色の悪い名前が視界に入る不快さは残る。私は私のこの人生が大嫌いだ。私は義務教育に殺された人間だ。私はそのことを思い出すことが苦しい。私は学校には行きたくなかった。期限付きでトラウマ治療の金に補助が入った程度ではどうにもならない。私のこうした数多い傷つきによる地雷のようなものを理解するために掛かる年数はおそらく途方もない。母の虐待の性質とそれを理解することに掛かる年数はおそらく途方もない。期限付きの治療でどうにかなるとは思えない。

夜に飛び出す日

自己嫌悪に伴う胸の痛みで眠れなくて夜中に歩きに出た。3時間くらい歩いた後、家に戻ってから寝た。そして起きてから日中も歩いた。夜は日差しがないので久々にゆっくりと外を歩いた。太陽の光で消耗することなく足の疲れだけを感じることが出来たのは随分と久しぶりだった。普段からスーパーに行くだけで頭が疲れている気はしていた。日傘も差しているというのに太陽の光というのはいつの間に私からこれほど体力を奪っていたのか。

 

紫色の空も眺めた。あの時の私はその空にある境界と、大きな川と流れている音楽の雄大さで胸がいっぱいになっていた。現実と夢の境を彷徨うように足を運んで、音楽と私の境界は寝不足も相まって普段より一層あやふやになっていった。あの感覚がずっと続いてくれればよかったのにと今は思う。朝食を食べながら夜に差し掛かる空を眺めて、寝る前のぼんやりした方がいい時間を朝になるところを眺めながら過ごせたらいいのにと思う。しかし毎日昼夜逆転するわけにもいかない。無茶苦茶な睡眠時間で実際に出来る家事は減ってしまうし、昼間に寝るには外は騒がしいし、お店が開いていなければ食材も得られないのである。

生きてるようで生きていないもの

私は壁に私を打ち付ける、何度も何度も、その振動以外に私は私に何も与えることが出来ない。

私には人は刺激が強すぎて、人を避けると刺激がなくなりすぎた。私は私を憎んでいる。何も出来なくて、したいことすらなくて、ただ不快感だけが常にまとわりつく。

私は私の身体を突き破るような怒りが暴れだしそうで恐ろしくなった。すべてを壊したくなって、私はただただ壁に体を打ちつける。

私は人としては完全に失敗作だ。私は完成された音楽の刺激に身を任せないと日常の身動きすらとれない。私は人の声に怯えて、機械音に縋って生きている。わたしは生きているようで生きていない。電子ケーブルのような存在なのかもしれない。

私は怒りに晒されるか、死んだふりをするか、ひたすら刺激に身を任せることしか出来ない。もう疲れた。そんなことにもうんざりして、壁に私を打ち付けた。

また失敗

なぜか昨日、白紙で投稿されたブログを埋める。昨日は大パニックだった。英語がわからないと泣き喚き、希死念慮と見捨てられ不安ですべてがめちゃくちゃだった。きっかけは読めそうにないのでひらがなでふりがなを自力でふろうとしても、うまく発音できなかったことだ。発音記号や発音の話はパニックになりやすくてどうにも手が付けられない。ひたすら夫が英語に興味に持つ前の時代に戻りたいと泣きわめいた。

 

今日となっては血が流れてて、あれは PMS込みのパニックだったのだと気づく。頭痛もよもやパニックによるものなのか生理前だからなのかすらわからなくなってしまった。結局は周期を記録して生理の近い土日は安静にするしかないんだろう。

 

今日もしぶしぶ英語を勉強していたのだが、日本語の例文のあなたは一人ぼっちじゃないという言葉に苛ついて投げ出してしまう。夫が突然崖登りを始めたようなこの状況で、そんな言葉を聞いても非常に惨めな気持ちになるし、音声付きでそういう言葉を向けられるとますます傷つく。音声を聞けと言うが、とても聞けそうにない。その言葉をきっかけに私は家族からも嫌われていたことを思い出すことしかできなくなってしまった。

名前というトラウマ

私は私の名前が世界一嫌いだ。名付けた親は私に虐待はするし、学校では性別の紛らわしさをきっかけに引っ越した当日からいじめられるし、薬を取りに行けば本人がいるか確認されるし、こんな誰からも大切にされない男みたいな名前が私は世界一嫌いだ。

 

私は私が嫌いだし、私の名前も嫌いだ。自分の名前が書いてるものなんてなるべく増えて欲しくない。マイナンバーカードなんて美人でもない自分の顔までついてくる。なんで不細工の顔なんて持ち歩かなくてはならないのだ。SNSのアイコンみたいに自由にさせて欲しい。夫は婚姻届に書いた名前を変えるのかというのである。何をやっても私が悪いみたいでしんどい。だけど私はこの嫌われ者の名前が大嫌いなのだ。

 

だけど名前を変えたらその名前まで嫌われ者の名前になってしまいそうで怖いという気持ちもある。私は誰からも名前を呼ばれたくない。世界から私を認識されなくないし、確認もされたくない。私自身も人に呼ばれたことのある名前は思い出したくない。誰かの決まり事や求められる押し付けられた私らしさとか、この世の道徳から綺麗事までもう何もかもが鬱陶しい。

必要な言葉が見つからない

夫が寝ているそばで希死念慮が止まらなくなる。最初はただ寂しいだけだったが、その寂しさの埋め方を何も持ってはいないからだ。そんな自分を呪ってしまうのである。自分を感じられなくなる薬が欲しくてたまらない。そんな薬が実際あるのかすらわからないが、自分の胸の中の気持ち悪さを慰めるものがなにもないのがとてつもなく辛い。

 

今の私には自分を憎まないように孤独という存在を愛する必要があるのだが、よくよく考えると夫のために物音を立ててはいけないこの状況は、孤独と引き換えに得られる自由という存在とはほど遠い。そう思うと私は何に悩んでいるのかわからない。抑圧された孤独、人といるのに感じる寂しさを一言で表す言葉を私は知らないのだ。そもそも隣で夫が寝ててなぜこんなに孤独なのだろう。やはり過去の感覚を思い出してしまうのか、過干渉にされてきたことによる自分は自分であってはならないという焦りなんだろうか。

 

今の私には読みたい本もない。キャラクターが喋った言葉でないと興味が湧かないという異常な理由で大量にある英語の教材も持て余している。せいぜい動詞の詳細を辞書のように開いて読むくらいだ。最近はAIに翻訳させることで複数の言葉でひとつの言葉を示していることもわかりやすくなった。

 

ハズビンホテルは夫の趣向に合わないので平日限定教材である。今日は韓国語で全く読めないキャラクターの台詞を英語に翻訳して、その文章を訳そうと思う。機械翻訳において韓国語から日本語に直訳すると意味不明だが韓国語から英語から日本語に訳すと読める文章になるのだ。

空気を読まないと殺される国

夫の買った英語の教材が山ほどあるが、何を読んでも目が滑る。脳みそが機能してない。勉強ってどうやるんだろうと読んでるうちに、会話文なので人が叱ったり注意する姿を見て落ち込む。会話のために出力された一枚絵のキャラクターには何の背景もないのでただ不安にさせられる。そういうやり取りが定番の腐れ縁とか、これからくっつく二人組とか、何かしらの情報がないと不安がまとわりつく。

 

昨日もTwitterで食べ放題で同じものを大量に食べた人に対して、ルールとかマナーとか暗黙の了解などで人を批判している姿があった。何も言わずに勝手にルールを作って、相手が悪いと言ってくるという自尊心の搾取は、じわじわと毒のように人を蝕む。

 

何をしても間違っている不安というのは恐ろしいのだ。自律性なんて持つどころではない。こんな世の中では統合失調症になっても無理もない。自己責任を叫ばれ、全方向から責められ、誰からも助けられなかった記憶を一度持ってしまえば、大丈夫なんて言葉は二度と使えなくなってしまうのだ。これからも健常者を名乗る人たちはそうした精神的なぼったくりによる搾取を繰り返すのだろう。

 

私はそれが怖くて並ぶ場所が書かれていない病院という場所に怖くて行けなくなってしまった。この国はEUのように後出しでルールを語って生活を破壊しては社会から人を追い出す。その後はやる気がないとか被害者ぶってると言って遠巻きに石を投げる差別の対象にするのだ。私のような病院が安定して通えるように、病院は電子の受付にして立つ場所に目印を付けたり、オンライン診療を広げて欲しい。

 

ちなみに私は食べ放題は種類をなるべくコンプリートしたいタイプなので今回の炎上のようなことにはあまり縁が無い。そもそも焼き肉は美味しいのは美味しいだろうが、酒と合わせて騒ぐ雰囲気のお店が多くて苦手だ。金が無いから静かな焼肉屋にはあっても縁がないだろう。あまり行くことがないので、未だにホルモンとタンの違いすらわかっていない。おそらくレバーとハツの違いもわからない。あとはカルビくらいしか名前もわからない。私は焼肉弁当を買う以外に焼き肉を食べる方法がないのだ。